RS FANTASY

りくそらたのファンタジー小説おきば。
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LOVE PAHNTOM第4章 帰郷-8-
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第4章 帰郷-8-

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アイシェが倒れたという知らせを聞きつけて、数分もしないうちにリンカーンが駆けつけた。
「だから言ったんだ。あれほど勝手に出歩くなと」
頭上から降ってくる声は怒りを帯び、そして苛立っていた。
リンカーンは何か言いたげに口を開きかけたが、すぐに閉ざした。
今、せめても仕方がない。
自分を落ち着かせるかのように、大きく息を吐くとアイシェの隣に膝を付いて、汗で頬に張り付いた髪を指で軽く払ってやってから、前髪をかき上げた。
ひどく熱い。
「小言は後でもいいでしょう? 身体を休める方が先よ。このままうちに寝かせる?」
知らせを聞いて同時に駆けつけたラステルの姉、ミリアが表情を曇らせ、アイシェの様子を伺った。
浅く早い息を何度も繰り返すアイシェの額には、玉のような汗がいくつも浮かび、顔色もひどく悪い。
「……いや。連れて帰るよ」
横たえられたソファの上で体を折り曲げるようにうずくまったアイシェをリンカーンは軽々と抱き上げた。
ふわと宙に浮く感覚に、ますます気分の悪さが増す。
身体の底から魂を吸い取られるような痛みが、波のように押し寄せてきて、アイシェは歯を食いしばりそれに耐えるようにリンカーンの服を握りしめた。
「私も一緒に行くわ」
「ああ。助かる」
「──────姉さん!」
部屋を出ようとした背中を強い声に呼び止められた。
「アイシェは…アイシェは治るの? まだ体力も回復していないのに、あたしが無理をさせたから…」
「平気よ。すぐに良くなるから」
「……本当?」
「ええ。ラステルが気に病むことじゃないから。また連絡するわ」
姉がそう言うならきっと大丈夫だ。
聖母のように穏やかな笑みに安堵しながら、ふたりがアイシェを守るように部屋を出て行くその後姿を、ラステルはそっと見送った。






家に戻るとガランは留守だった。
リンカーンはアイシェをベッドに横たえたあと、急いで部屋を暖め、煎じたばかりの薬を口に含ませ、衣服を緩めてから再び横たえた。
薬はミリアが煎じたものだ。
彼女は薬草学の心得があり、処置も処方も的確だ。
直接的な原因が分からなかったので、解熱効果のある薬草と、呼吸を楽にする安定剤のようなもの、眠剤効果のあるものを調合した。
いわば万能薬のような薬だ。
口に含ませてから数分、呼吸が穏やかになり、顔色もいくらか回復した。
汗で頬に張り付いた髪を払い、きつく絞った布で汗を拭ってやりながら、リンカーンは声だけを背後に向けた。
「──────ミリア。いつまでそこで見ている気だ?」
「あら。気付いてたの? さすがね」
ゆらりと影が動いて、扉の向こうから意味深な笑みを浮かべたミリアが顔を出す。
気配を消したつもりだろうが、ラグナの芯までは消せない。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「可愛い妹君の身を案じて、見張っていたの。可愛さ余ってキスでもしそうな雰囲気だったから」
「……馬鹿を言うな」
「あら。バカはどっちかしら?」
ミリアは柔らかな黒髪を手で梳きながら、意味深な言葉をリンカーンに投げかけた。
「これ。薬。今飲ませたものと同じものを作っておいたから。もしものときに、飲ませてあげて。呼吸も落ち着いてきてるから、もう大丈夫だとは思うけれど……はっきりとした原因がわからないから、いつ急変してもおかしくないもの」
手にした小瓶をテーブルに置くと、ミリアはゆっくりとアイシェの枕元まで歩みを寄せ、そっと頬に手を伸ばした。
アイシェは艶やかな亜麻色の髪を首筋にまとわせて、穏やかに眠っている。
呼吸も顔色も先ほどくらべると、随分落ち着いたようだ。


「……リィン。これからどうするつもり?」
ミリアの問いかけに、リンカーンは眉をひそめた。
「どうする? 今までと何も変わりはしない」
ファントムは、外に出すものじゃない。
そして、彼女自身も。
「結界の強度を上げて、警備も」
「そうやってまた、籠の中に閉じ込めておくつもり?」
「……なに?」
「自由に外の世界を飛び回ることのできる翼を持っているのに、それをまた、あなたは奪うのね」
「……どういう意味だ」
「はたして村にいることがこの子にとって幸せなのかしら? かわいそうな子。あのまま村に戻ってこなければよかったのに──────」
「ミリア!」
ビン、と空気が振動した気がした。
リンカーンが発したラグナの強さに、ミリアは一瞬、身を震わせる。
射抜くような鋭い目で睨みつけられ、ゴクリと喉を鳴らした。
背筋が凍りつくような恐怖を感じながらも、その張り詰めた空気を打ち壊すように、ミリアが大きく息を吐いた。

「あなたは昔から変わらないわね。普段は冷静沈着で何事にも無関心なくせに、アイシェのことになると、周りが見えなくなるほど冷静さを失う。そんなに彼女が大事?」
「………あたりまえだろ。アイシェは」
「長の孫娘だからとか、石に関わってるからだからとか。そういう話をしてるんじゃないわ」
「………」
「そんな怖い顔で睨まないで。
わからないの? もう大事に閉じ込めているだけでは守れないってことが。あなたも聞いているのでしょう? 長老の仰ったとおり、やはり結界の向こうに異常な膨らみが感じられる。閉じ込めて守ってるつもりでも、ここを攻められたら終わりなのよ? あなただってそれぐらいわかってるくせに」
「ではどうしろというのだ?」
「もっと視野を広げるべきだわ。外にも目を向けるべきよ。木を隠すなら森の中っていうでしょ。限られた空間にかくまうより外の世界に出る方が、かえって安全じゃないのかしら」
「外の者など信用できん」
「あなたが思ってるほど悪くないわよ。事実、外の世界でアイシェは助けてもらったようだもの」
「………」
「アイシェ、外でかけがえのない経験をしてきたようね。兄として、幼なじみとして、妬ける?」
「得体の知れない人間だ。心配して当然だろ」
「本当にそれだけかしら?」
「………なにが言いたい」
ミリアは柔らかな黒髪を後ろへ流しながら、視線をアイシェに移したまま立ち上がる。
「自分の胸に聞いてみるといいわ。それはあなたが一番良く知ってることだから。
……じゃあ、私は戻るから。薬、目が覚めたら飲ませてあげて」
リンカーンの背に軽く笑いかけ、部屋を出ようとした。
と。
背後から声に呼び止められる。



「ミリア」
「なに?」
「お腹の子は順調か?」
「ええ……。最近、よく動くのよ。触ってみる?」
「いや。元気ならそれでいいんだ」
「………」
「じゃ」
「──────ねえ、リィン」
リンカーンの言葉に被せるように、今度はミリアが名を呼んで呼び止めた。



「………いいのよね? 私、あなたの子どもを産んで。今さら堕ろせなんて、あの子が戻ったからダメだなんて、そんなこと言わないわよね?」
「……言うわけないだろ」
「じゃあ、どうして」
顔を見て言ってくれないのだろう。抱きしめてくれないのだろう。
アイシェが戻ってきてからというもの、リンカーンの視線も言葉も心も、すべてが彼女に向けられたままだ。
現に今だって。
結婚を間近に控えた恋人がすぐそばにいるというのに、視線は穏やかに寝息を立てる少女に注がれたまま、こちらを見ようともしない。
「……なんだ?」
「いえ。なにも」
今さら、リンカーンの気持ちを確認したところでなにも変わりはしない。
ミリアは追求することを諦めて、深く息を吐いた。
「……身体、気をつけてくれよ」
「あなたも。あまり無理はしないで」




完全にラグナの気配がしなくなったのを確認してから、リンカーンは部屋の隅に置かれた椅子に崩れるように腰を降ろした。
顔の前で手を組み合わせ、深く息を吐く。
今度こそ本当に、ミリアは家を出て行ったようだった。
リンカーンは椅子に腰掛けたまま視線を泳がせて、アイシェの寝顔を見つめた。
眠剤がよく効いてるのか、苦しみから解放されたアイシェの寝息は、気が付けば穏やかなものに変わっていた。
規則正しい呼吸のリズムを耳に、自然に安堵の息が零れる。
再会した当初から、アイシェの体調はあまりよくなかった。
長旅の疲れ、初めて外の世界に触れた緊張感、そして彼女の指にはめられた得体の知れない指輪──────。
「……あの苦しみ方は病気や疲労の類じゃない。原因はおそらく、指輪か」
それが彼女の指で輝く限り、確実に彼女の体力を奪っていく。
早急に外す手立てを見つけなければ。
椅子から立ち上がったリンカーンは、静かに歩みを寄せ、アイシェが眠るベッドの淵に腰を降ろし、シーツの上に流れるように広がる髪のひと束をそっと手に取った。
亜麻色の髪は、窓から差し込む弱い月明かりの中でも美しく透けるように輝き、サラサラと手の中からこぼれ落ちる。
色白の肌が艶やかに月光を弾き、甘く輝く唇が誘うように目の前に。


──────そうやってまた、籠の中に閉じ込めておくつもり? 自由に外の世界を飛び回ることのできる翼を持っているのに、それをまた、あなたは奪うのね──────

この場所に閉じ込めてしなわなければ不安だった。
いつだって彼女の存在は危険と隣り合わせだったのに、そばに見えればそれだけで不安も吹き飛んだ。
無邪気な顔で笑いかけ、小鳥がさえずるような声で名を呼ぶ。
ただそれだけで……。
アイシェの頬に触れると、くすぐったそうに身をよじった。
彼女のすべてが愛おしくて、髪にも唇にも触れる。


──────閉じ込めて守ってるつもりでも、ここを攻められたら終わりなのよ。あなただってそれぐらいわかってるくせに──────

そんなことはわかってる。
もはやここが、安全ではなくなったことも。
内通者が存在する今、この村の中が一番危険だということも。
だからといって、二度と、アイシェを手放し、失うのは嫌だった。
マントの留め金をとめて、リンカーンはゆっくりと立ち上がる。
穏やかな寝息を立てて、アイシェはまだ眠っていた。
長いまつげが頬に影を落とす。
もしもいつか、アイシェがこの村を出るとしたら、自分はためらわない。
誰にも手は出させない。彼の心も体も、存在そのものが、リンカーンを動かす。
(君がどんなに望んでも──────どんな手を使っても、オレの手で)
いつか、ではない。
遠くない未来に、かならず時が来る。この村は安全ではなくなってしまった。
成果の出ない作戦は、いずれ変更を余儀なくされる。
何かを得るためには何かを捨てなければならない。
けれど。




「おやすみ、アイシェ。よい夢を」
 

どれも捨てるつもりはなかった。
彼女が戻ってきたからこそ、ぜんぶこの手の中にと、心に強く誓うのだった。
たとえそれが、なにかを犠牲にしてでも。







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| LOVE PAHNTOM 第4章 | 10:59 | comments(2) | - |
LOVE PAHNTOM第4章 帰郷-7-
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第4章 帰郷-7-

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朝食の食卓には懐かしい物が並んだ。
小麦に雑穀を練り込んで焼き上げたパンに、キノコのオムレツ。
蓮で包んで蒸した羊肉と色鮮やかな野菜。
蜂蜜をたっぷり使ったプディングに山羊のミルク。
どれも村で取れた新鮮なものばかりで、食べると懐かしい味がした。
「家族が揃うといつもの食事がより美味いのぉ」
運ばれた料理を美味しそうにほお張るアイシェの姿に目を細めながら、祖父ガランが満足そうに微笑んだ。
「たくさん食べてゆっくり休むといい」
「うん。でも…今日はラステルと約束してるの」
アイシェが嬉しそうに告げると、果物を盛った籠を手に台所から戻ってきたリンカーンが眉根を寄せた。
「今日でなくてもいいだろう」
「でも…ラステルと約束したから」
「体を休めることの方が先だ。まだ本調子じゃないんだ」
大きな手がアイシェの前髪をかき上げた。
体にはまだ熱が残っている。
「もう。子ども扱いしないで!」
その手をパンと跳ね除けた。
リンカーンは昔から過保護すぎる。
「ラステルだってアイシェが帰ってきたばかりで疲れていることぐらい、わかっているだろ。どうせ急ぐ用じゃないんだ。明日にしろ。それと―――キノコもちゃんと食べろよ」
アイシェの目の前に置かれた皿には、オムレツを食べる時にちまちまとより分けたきのこが隅に寄せられていた。
「子ども扱いするなっていうんなら、出されたものぐらいちゃんと食え。偏食するな」
「…リンカーンのバカ!」
罵声が聞こえたが聞こえぬフリをして、リンカーンはアイシェに家から出ないように釘を刺すと扉を固く閉めた。
「リンカーンって、ほんと頑固だわ」
昔から真面目で融通がきかない。
ここのところ輪をかけたようにそれがひどくなっている気がする。
「はっきりとした言葉にはせぬが、あいつなりにアイシェのことが心配なのじゃよ」
「…それはわかってる」
自分がとれだけ大事に育てられてきたか。
皆に守られ、何不自由のない生活をしてきたのか。
村から出てそれが初めて分かった。
けれど。
安らぎと居場所を与えられてもそれは自由の利かない籠の中。
一度、外の世界を知ってしまうと窮屈になる。
守られているだけでは物足りないというのは、贅沢な悩みなのだろう。
でも、誰かに何かをしてもらうのをじっと待っているだけでは、何も変わらないのだ。
自分は強くなりたいのに…。
不機嫌さを隠しきれず顔を歪ませた素直な孫娘に、ガランは苦笑を零した。
「あまり無茶はするでないぞ?」
そういい残し部屋を出て行った。
リンカーンは午後から村の若い衆に剣の稽古をつける為に、家を留守にする。
夕刻までに帰ってくれば見つかることもないだろう。
「早く行かなきゃ。約束の時間に間に合わなくなっちゃう」
アイシェはそっと部屋を抜け出した。








村の高台にあるアイシェの家から東の坂を下り、大きな樫の木のすぐ側にラステルの家はあった。
昔、よく訪れた木戸の扉を叩く。
数分もしないうちにラステルが顔を出した。
「遅くなってごめんね」
「平気なの?」
「…なにが?」
「アイシェはまだ調子が悪いからこられないって…たった今、リンカーンが来て…ちょ、アイシェ!?」
言い終わらないうちに勢いよく腕を引かれ、ラステルは部屋の中へ押し込まれた。
勢い余って前へつんのめりそうになる。
「───ラステル」
バタンと扉を閉めたタイミングで、よく知った低い声が聞こえた。
「今、アイシェの声がしなかったか?」
察しのいいリンカーンの質問にアイシェは物陰に隠れてブンブンと首を横に振る。
人差し指を唇に当て、゛自分はいないと言って゛と翡翠の瞳が懇願する。
「ははーん…なるほど。そういうわけか」
理由を素早く察したラステルは任せてと、軽くウインクを投げた後、アイシェを奥の台所へとかくまって部屋を出て行った。
扉の外でふたりの話し声が途切れ途切れに聞こえてくる。
勘もラグナの能力もずば抜けて高いリンカーンだ。
アイシェは気付かれないように息を潜め、ラグナの波長も最大限まで落として堪えた。
しばらくして何やら小さな物を手に、ラステルが戻ってきた。
「もう大丈夫よ」
「リンカーン、行っちゃった?」
「うん。これをアイシェに渡してくれって」
「……え?」
「午後から長老どのも家を留守にするからって、鍵、預かってきた。
抜け出してきたの、お見通しみたいよ?アイシェの微かなラグナを感じて、戻ってきたんだって。リンカーンの過保護っぷりはさすがねぇ〜」
「もぅ! 感心している場合じゃないってば!」
帰ってから何を言われるか…考えるだけでも恐ろしい。
アイシェは泣きそうになった。
「覚悟を決めなさいよ。もう見つかったんだから、腹をくくるしかないわね。それよりも…こっちに来て!」
家の一番奥の部屋の前で、ラステルが手招きをする。
「なあに?見せたいものって…」
「見てのお楽しみだって言ったでしょ。ほら、早く!」
「そんなにせかさないでよ」
「いいから来て来て!」
せかされるままに部屋を覗き込むと、まばゆい白が目に飛び込んできた。
天窓から差し込む陽の光に揺れて、部屋全体が白く輝いて見える。
その冴えた白の美しさに思わず息が零れた。
瞬きを忘れて見入ってしまう。
「凄く…綺麗…」
「でしょう?昨日、アイシェが帰って来た日に仕上がったの。ほら、もっと近くで見てよ!」
扉の前で直立していたアイシェの手を引いてラステルが部屋に促した。

たっぷりと布をあしらったレース。
胸の下の部分を紐でギュッと締め、躰の丸みを十分に引き出すようなデザイン。
肩は露で、袖は襞をたっぷりとった同様の布地が覆う。
イヤリングとネックレスはおそらく、このドレスの持ち主の瞳の色に合わせた湖のような深い藍。
村でしか咲かないイリスの巫女花から取れる極上の糸を紡いで編んだ純白のドレスがそこにあった。
シ・シュと呼ばれるこの村に伝わる伝統の花嫁衣裳だ。


「…ラステル、結婚するの?」
「バカね。あたしじゃないわよ。姉さんが結婚するの!」
「ミリアが?」
「昔からずっと想いを寄せていた人と、ようやく結ばれることになったの。素敵でしょう?」
「へぇ…」
「アイシェにも見てもらいたいってずっと言ってたから…姉さん、すごく喜ぶと思うな」
「…花嫁姿、きっとすごくキレイなんだろうな…」
その姿を頭に思い描いてアイシェは目を細めた。
ラステルよりも3つ年上になる姉のミリアは、村で一、二位を争うほどの美しい娘だ。
美しいばかりでなく、女性ながらも傑出した剣の使い手である。
才色兼備という言葉はミリアの為にあるようなものだと、昔よく、リンカーンに聞かされた。
男女を問わず彼女に憧れる若者は少なくない。

そのミリアが結婚するというのだ。
彼女のハートを射止めた男はさぞかし鼻が高いだろう。
シ・シュを身に纏い祝福された村の娘はとても綺麗で輝いて、誰よりも幸せそうだった。
今まで見てきた花嫁の中で、ミリアが一番綺麗で幸せに違いない。
その姿を想像すると、自然に笑みが零れた。



我を忘れてじっと見つめていると、すぐそばでラステルがニヤニヤと自分を覗き込んでいることに気付く。
「…何?」
不思議そうに尋ねると、ラステルがますますにやけた表情で顔を寄せた。
「アイシェ。村の外で何かあったでしょう? 素敵な出会いでもあった?」
覗き込んだ顔が嬉しそうに口角を上げた。
「今まで結婚なんてまるで興味がなさそうだったのに、部屋に入ってきた時の目の輝きようっていったらなかったわ。外で恋人でもできた?」
「そ、そんなんじゃないってば…!」
「白状しなさいよ。私とアイシェの仲で隠し事はなしよ?」
アイシェは大きく首を横に振った。
隠すつもりはないけれど、あらたまって話すのは何だか恥ずかしい。
自分のことをよく知っているラステルだからこそ、こそばがゆい。
「何もなかったわけないでしょ?だって、アイシェ雰囲気変わった。艶っぽくなったっていうか…綺麗になった! 絶対、何かあった顔!
行方が分からなかったふた月もの間、どうしてたの?誰といたの?男?女?」
瞳を爛々と輝かせて、ラステルが顔を近づけた。
「外の世界ってどんなだった?どんな恋の話があったの?」
「もう!いっぺんに聞かないでよ!」
「だって、早く話を聞きたくてうずうずしてたんだもん」
「ラステルは村の外に出たことあるでしょう?」
「数える程しかないよ。それに、いつだって姉さんが同伴だったから、羽目なんかはずせないもん!
ねぇ、外で何かあったんでしょ? もったいぶらずに話してよ!」
恋の話…と言われても、ラステルが期待するような淡く甘い話ではない。
切なく締めつけるような胸の内をどうやって話せばいいのだろう。
毎日が平和で穏やかな村の中で暮らしていると、ジェイと共に過ごした日々は全て夢だったのではないかと、錯覚しそうになる。
日が経てば尚更。
優しく撫でてくれる大きな手も、優しく触れた唇も、全てを包んでくれる大きな腕も。
ジェイにはもう二度と会えないのではないか…そう思うと苦しくて仕方がない。
目尻に涙が溜まるような気がして、誤魔化すようにアイシェは顔を伏せた。

「もしかしてその指輪も?」
不意にラステルが指に触れた。
ビクとアイシェの身体が跳ね上がる。
「ダメ…!」
咄嗟に背に隠したがもう遅い。
「ははーん。さては、好きな人にもらったんでしょう? 左の薬指だし…。人には見せたくないほど大事なものなんだ?」
ニヤニヤと嬉しそうに顔を寄せた。
「違うの、これは…」
何と説明すればいいのだろう。
話したことで、大事な親友を巻き込みたくはない。

「勿体ぶらずに見せなさいってば!」
「あ…っ!」
ラステルはアイシェの左手を乱暴に引っ張った。
勢い余って前へつんのめった身体をラステルが羽交い絞めにして押さえつけた。
「痛…っ…ラステル!」
抜け出そうと必死にもがくが、小柄なアイシェの力ではびくともしない。
ラステルは意外に馬鹿力なのだ。
「村では見たことのない鉱物が埋め込まれてる。紫水晶…にしては、色が深いよね? なんだろコレ…字が彫ってある。なんて読むの?」
興味津々で指輪を覗き込み、刻まれた文字に触れた。
その瞬間、ゾクリとアイシェの体に悪寒が走る。
「愛の言葉…だっりして…?」
何も知らないラステルは無邪気に笑う。
ラグナの弱い彼女は指輪を目の前にしても、何も感じないらしい。
「素敵ね…これ」
妖艶な輝きにうっとりと魅入られる。
ラステルが指輪を撫でるたびにツキンと頭が痛んで、身体をきつく締め付けるような気がした。
吐き気がして胸が苦しい。
その不快な感覚が堪らなくなって、アイシェは乱暴にラステルの手を振り払って指輪を隠した。
「どうして隠しちゃうの? 見せてってば!」
「…だめ」
「もったいぶらないでよ、ケチ!」
「だから…そんなんじゃないんだってば…」
駄目と言われればますます好奇心に火がつくラステルの性格をすっかり忘れていた。
こんなことなら、最初から素直に見せておけばよかった。
外の町で買ったとでも何とでも、適当に理由をつけて誤魔化せたのに…。
ラステルのしつこさにアイシェは苦い顔をした。
「隙あり!」
ラステルがアイシェの手首を掴み、無理に指輪を引き抜こうとした瞬間。
「痛…ッ!」
身体に電撃が走る。
今まで感じた事のない痺れるような痛みだ。
身体を突き抜けてその痛みは脳まで走る。
あまりの痛みに堪えられず、アイシェはその場にうずくまった。
「アイシェ? どうしたの?」
「…っう……」
体からラグナを抉り取られるような苦痛に、アイシェは顔を歪めた。
額に脂汗が浮ぶ。
動悸が激しくなって、息が途切れた。
「…アイシェ。顔、真っ青じゃない…」
「…っ…」
「あたし、そんなに強く引っ張ったかな…。ていうか、引っ張ったぐらいで、そんなにならないよね?」
「違…う、ラステルのせいじゃ…ないから…」
苦しい。酸素が欲しい。けれど身体がうまく動かない。
身体がまるで自分の物ではないみたいにいうことをきかない。
胸が痛い。気分が悪い。吐きそうだ。
「アイシェ、本当に大丈夫……?」
覗き込んだラステルの服を掴んだまま、ずるりと床に座り込んだ。
ひどい眩暈が襲い、意識を保つのがやっとだ。
「やばいって、アイシェ。普通じゃないって! あたし、人を呼んでくるから。待ってて!」
うずくまってしまったアイシェの体を何とか支えながらソファに横たえると、ラステルは人を呼びに家の外へ飛び出した。
アイシェは苦痛に顔を歪めながらソファに丸くうずくまる。
左の胸の膨らみ、ちょうど心臓の辺りがキュウッと抉るように締め付けられる。
焦がすような焼きつく痛みと、心臓を素手で鷲掴みにされたような激しい痛みが交互に波のように襲う。
激痛に神経がどうにかなってしまいそうだ。


「…なに、これ…ッ。痛…い…息、できな…っつ…」


浅く早い息を何度も繰り返しながら、アイシェは胸元を握りしめた。
固い鉱物が掌に確認でき、それを強く握りしめると幾分か痛みがマシに思えた。
それでも束の間。
まるで陣痛のように痛みの感覚が短くなり、痛みと激しさを増す。
「ふぅぁ…うっ…」
今にも途切れてしまいそうな意識の中で、目に映るシ・シュの冴えた白がやけに眩しくて瞳を閉じた。



そのままアイシェの意識は途切れた。









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| LOVE PAHNTOM 第4章 | 14:10 | comments(2) | - |
LOVE PAHNTOM第4章 帰郷-6-
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第4章 帰郷-6-

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最初は触れるだけのつもりだった。
けれど一度、触れてしまうともうそこからは止まらなくなる。


すやすやと心地の良い寝息を立てるアイシェに覆い被さるように、リンカーンは唇を重ねた。
眠る前にアイシェが飲んだ山羊のミルクには、安定剤が混入されていた。
朝までぐっすり眠れるようにと、祖父ガランから指示されたものだ。
だからちょっとやそっとのことで、アイシェが目を覚ますことはない。
深いキスは続く。
落ちた前髪がアイシェの額を撫でる。
まるで枷が外れたみたいに深く貪るようなキスが続いて、しばらくすると「ん…」とアイシェの唇から苦しそうな声が漏れた。
ゆっくりと身体を離すと、ぼんやりと目を開けてこちらを見つめているアイシェと視線がぶつかる。
潤んだ翡翠の瞳が視線を絡め取った。


「―――リンカー…ン…?」


夢と現実との狭間を彷徨うかのように、アイシェの唇が不安げに動いた。
濡れた唇がやけに生々しい。
暗闇でよく見えないのか、それとも寝ぼけているのか。
腕を伸ばしてそれを確かめようとする。
「大丈夫。全部夢だ―――そのまま、眠って」
そう言って優しく頭を撫でてやると、素直に目を閉じた。
疲れた身体は正直で、溶けるように眠りについてしまう。
それを見届けてから安堵の溜息をつくと、伸ばした手をそっと包み込み、その指に唇を押し当てた。


無抵抗なアイシェの唇を奪うなんて、良心に反することだ。
けれど、どうしても止まらなかった。
しばらく離れている間に彼女は変わった。
無邪気で愛らしく、素直な気質はそのまま。
なのにふとした仕草や表情がやけに大人びて、艶を帯びていた。
初々しさの中にも匂い立つような色気がある。
何が彼女をそんな風に変えたのか。
聞かずとも分かる。口に出したくもない。
いつも笑みを絶やさない唇は、今は安心しきってぽっかりと半開きになっている。
無防備であどけない姿。
自分を兄のように信頼し、安心しきった寝顔。
リンカーンにとってアイシェはずっと特別だった。
このままここに閉じ込めて、誰の目にも触れない安全な場所で守ってやりたい。
アイシェの側に寄り添って、自分の温もりで彼女の寂しさを静めてやれたらどんなに幸せだろうか。
でももうそれは、自分の役目ではないことをアイシェと再会した瞬間に察した。
勘が鋭いというのはいい事ばかりではない。
自分の事に関しては特に。

ベッドサイドに手を伸ばし、灯りを最大限まで落とす。
ぽっかりと明いた窓の向こうから、満ち始めた月が部屋を照らす。
月明かりがアイシェの肌をひときわ美しく見せる。
この唇や首筋に、その男は何度口付けたのだろう―――。
ふいに湧き上がった淫靡な妄想を振り払い、リンカーンはベッドから腰を上げた。
それから身を屈めて、子どもにするようにアイシェの頬にキスを落とす。
「お前は必ず、俺が守ってやる…」
まるで自分に言い聞かせるように強く呟いて、リンカーンは部屋の扉を閉めた。










(―――どうして…違う匂いがするの?)



アイシェは頭の片隅でぼんやりと思った。
ふわふわと心地よく揺れる夢の狭間で薄っすらと目を開けると、力強い腕がアイシェを掻き抱いた。
その人を確認する前に、腕に抱きすくめられ、閉じ込められる。
熱い唇がアイシェの唇をこじあけ、侵入し、舌を絡ませる。
「愛してる」と耳元で囁かれ、耳朶を優しく噛まれた。
優しく口付けられる。
何度も何度も。
微かに感じるラグナは、よく知っている人のものだと思う。
絶えず側にあって自分を包み込むような存在。
最初に微かに感じた違和感も、包み込むような温かなラグナの波長で拭い去られる。
「アイシェ―――」と。
耳の側で何度も何度も優しく呼ばれる。
低く優しい声で。
その心地の良さで、夢ならばこのまま覚めないでほしいと願い腕を伸ばす。
その手が何かに受け止められ、アイシェは薄っすらと目を開けた。
翡翠の瞳に淡い影が映り込む。

「―――リンカー…ン…?」

「全部夢だ―――そのまま、眠って」

優しく頭を撫でられる。
そう、これは夢だ。
だって自分はジェイの腕のぬくもりの中で、眠っていたはずなのだから。
そう自分に言い聞かせ、アイシェはまた瞳を閉じた。
眠りは深い夢の底に辿りついて、もうこれ以上、夢を見ることはなかった。










ノックの音と、天窓から差し込むまばゆい陽の光でアイシェは目を覚ました。
微かにいい匂いが漂う。
祖父ガランかリンカーンが朝食の準備でもしているのだろう。
しばらくして、またドアが叩かれた。
「アイシェ?起きてる…?入ってもいい?」
扉の向こうから控えめに呼ぶ声。
まだ薬の利いた気だるい体をのろのろと起こし、乱れた髪を手で整えると。
「どうぞ」
扉の向こうに声を掛けた。
キィ…と数センチ開いた扉の向こうから、遠慮がちに覗き込んでこちらを伺うよく見知った顔。


「…ラステル―――?」


声を掛けるとその顔がパッと輝いた。
「本当にアイシェだ!戻ってきたのね!」
ようやくいつもの元気を取り戻したかのように、少女が嬉しそうに声を上げ駆け寄ってきた。
丸く切りそろえられたおかっぱ頭に、小さく丸い目。
軽くそばかすの浮き出た頬を赤く高揚させて、部屋に飛び込んできた。
幼い頃からの親友、ラステルだ。

「アイシェが村に戻ってきたって昨晩、村の噂で聞いて…。すぐにでも飛んできたかったんだけど、さすがにその日じゃ…ねぇ?」
肩をすくめて笑う。
いたずらっぽくはにかむような笑顔は昔から変わらない。
何だか懐かしく思えてアイシェは目を細めた。


「早朝から押しかけるのは、マナー違反じゃないのか?」
背後から降って沸いたような声に、ビクとラステルが肩を震わせる。
うわっと短く呟いて、その人物の登場に苦い顔をする。
「目が覚めたか?気分はどうだ?」
トレイの上にカップを乗せて、リンカーンが扉を開けて入ってきた。
「おはよう、リンカーン。気分は随分といいわ」
ベッドの横に膝を付いて、そっとアイシェの髪をかき上げて顔色を伺う。
「ガラン殿が煎じた薬だ。疲労に効く。苦いけど全部飲んでおけよ」
「うん」
「朝食が出来てる。部屋で食べるか?」
「ううん。後でそっちに行くから、先に食べてて」
「…わかった」
短くそう告げて、音もなく部屋を出て行った。
サイドテーブルに置かれたカップから、何ともいえない漢方独特の匂いが部屋に立ち込める。


「相変わらず過保護だね、リンカーン。それに堅い!
あんな融通の利かない人と一緒に住んでて、嫌にならない?」
わざわざ扉の側まで行ってリンカーンが近くにいないことを確認してから、ラステルが顔をしかめた。
「リンカーンは昔から、ああだから…もう慣れちゃった」
苦笑しながらアイシェは肩をすくめる。
「あたしだったら息が詰まるけどなー。アイシェも帰ってきたし、これからまた頻繁に会わなきゃいけなくなるのかぁ。もう、うんざり…」
心底嫌そうに顔を歪めて、ラステルが頭を抱え込んだ。
「ていうか。ホント、リンカーンの言う通りだよね。ゴメンネ、朝っぱらから…。アイシェが帰ってきたって聞いて、いてもたってもいられなくて…」
「ううん。来てくれて嬉しい」
そう言って笑いかけたとたんに、ぎゅっと抱きしめられた。
「ホント無事でよかった…。おかえり、アイシェ」
喜びに顔を滲ませて耳元でそう告げられて、胸の奥がジンと暖かくなるのを感じた。
ラステルの笑顔を見ていると、村に戻ってきてよかった…と心からそう思える。
「ラステル、ありがとう…」
それは心からの言葉だった。
自分をずっと心配してくれたであろう親友に向けての。
ラステルはくすぐったそうに笑いながらアイシェを覗き込んだ。

「聞きたいことは山のようにあるんだけど…。アイシェが朝食の席に来なかったら、またリンカーンが来ちゃいそうだから、一度家に戻るね」
「うん」
「落ち着いたらうちに来てよ。見せたいものがあるの」
「見せたいもの?」
「そう。すごくいい物!きっとアイシェも気に入ると思うわ」
「なあに?」
「それは見てのお楽しみ。だから絶対、後で来てね!」
パチンとウインクを残して、ラステルは慌しく部屋を出て行った。
ラステルのリンカーン嫌いは昔から変わらない。
自分の思いに率直で落ち着きのないラステルに、リンカーンはことごとく小言をきかせた。
子どもの頃の嫌な記憶が、今でも彼女の中に深く根付いているのだろう。
おかしさと懐かしさで、笑みが零れる。
掌の上で当たり前に増えていく日常。
昔と何も変わらない穏やかで幸せな日々を取り戻した。
なのに、心の奥にぽっかりと穴が開いたように物足りない。
家族や友達に囲まれていても、寂しくて仕方がないのだ。
ジェイのいない日常に、いつかは慣れる日が来るのだろうか…。
抱きしめて何度もキスをしてくれたのは、やはり夢だった。
現実に戻され胸の奥がツキンと痛む。


「…ジェイ」


膝を抱えてうずくまるように泣いた。
アイシェの胸でジェイから送られた首飾りが鈍い光を放っていた。





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| LOVE PAHNTOM 第4章 | 10:46 | comments(2) | - |
LOVE PAHNTOM第4章 帰郷-5-
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第4章 帰郷-5-

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「アイシェ、少し話せるか?」
どれくらい長い間、泣いていたのかわからない。
祖父にそう優しく問いかけられ、アイシェは顔を上げて深く頷いた。
ガランは深く皺の刻み込まれた手でアイシェの涙の跡を優しくぬぐってやると、サイドテーブルに置かれた水差しから水を汲み、グラスをアイシェに手渡した。
ひどく泣いたので顔はむくみ、喉はカラカラだった。
泣き疲れた喉を潤すと、少し落ち着いた。
けれど身体は気だるく、意識も重い。
住み慣れた故郷に帰ってきた安堵感と、今までの疲れ、リンカーンのラグナで眠らされた影響ですでにアイシェの体力は限界に近かった。
本当はこのままベッドに身体を預け、深い眠りにつきたいところだがそうもいかない。
アイシェの左の薬指に輝く制御の指輪が、心をせかせる。
少しでも危険を回避できるのならば、話すのは早いほうがいい。
それにアイシェ自身、聞きたいこともたくさんあった。

アイシェは自分に起きた出来事を順を追って話した。
アサシンに攫われたこと。
その者たちは、アイシェの持つ石の存在を知っていて手に入れようとしていること。
底知れぬラグナを自在に操り、よからぬ事を企む紅い目の男。
指輪によって封印されたラグナの力。
ジェイやジルに助けてもらいここまで生き延びてこられたこと。
船で出会った謎の青年の言葉。
アイシェが外の世界で見て、触れてきたことを全て。



「…そうか。だいたいの事はわかった。辛く、大変な思いをしたな」
アイシェがこれまで味わった恐怖や不安、苦痛を思うと何とも居た堪れない。
そんな思いでガランは再度、アイシェの頭を撫でてやった。
今までの出来事を吐き出すことで不安が取り除かれたわけではないが、少しアイシェの心も軽くなった。
「あとは村の若い衆で手を打とう。今日はもう、アイシェは休みなさい」
「でも…!」
聞きたいことは山のようにある。
アイシェには分からないことだらけだ。
「村の警備は万全じゃ。結界も張ってある。この中にいれば、向こうもそう簡単には手出しできまい。今後、相手がどう出てくるかわからぬ。
もしもの時の為に、休めるうちに休んでおく方がよい」
「どうして…?どうしてこの石が狙われているの?私の持つファントムって何?どうしてそんな大事な石を私が持ってるの!?」
祖父が早くに話を切り上げたがっていることがアイシェにも伝わり、聞きたい質問が怒涛のように溢れる。
このままでは話がうやむやになってしまいそうな予感がして、アイシェは祖父にしがみついた。
「おじいちゃんなら知ってるって、だから私、帰ってきたの!」

しばらく沈黙が続いて、不安を吐き出すような溜息が祖父の口から零れた。
「アイシェよ。お前がファントムの存在を不思議に思い、不安を感じているのはよくわかる。
だがな、今はその疲れた身体を休めることの方が先じゃ。今、そうやって身体を起こしているだけでも辛いのではないか?」
祖父の言うとおりだった。
慣れない旅で今までずっと緊張していた身体。
限界まで蓄積された疲労。
精神的にも肉体的にも、自分の限界が近いことがよくわかる。
村へ戻ってきた安堵感から、外で気を張り詰めていた時以上に、疲れを感じる。
今もし、村が襲われたとしても逃げ出す力さえアイシェには残っていないだろう。
「そんなボロボロの身体では、動くことも充分でない。もし、何かあった時にそんな状態では困る。かえって足手まといになるだけじゃ。
知ることだけが大事ではないのだよ。身体がついていかぬのなら何をしても話しにならぬ」
「……」
「話さぬと言っているわけではない。体力が回復すれば、ちゃんと話そう。約束する」
祖父が嘘をつくのを見た事がない。
優しくそう約束されるとアイシェはもう、素直に従うしかなかった。


「安心して休みなさい」


ガランの手に導かれるように、アイシェは眠りに落ちた。
よほど疲れていたのだろう。
気持ちを落ち着かせるように頭を撫でてやると、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
枕もとの灯りを落とし、掛け布をそっと掛けてやる。
規則正しく上下する胸元で、アイシェの首に掛けたブロンズの首飾りが鈍い光を放った。
アイシェを起こさぬようそっと手に取り蓋を開けると、中から親指の爪ほどの大きさの石が転がり落ちた。
光の少ない暗闇の中で、なおもそれは神秘な光を放つ。
先ほどまで瞳を潤ませて話していた孫娘の瞳によく似たエメラルドの輝きだった。


「―――リンカーンよ。ずっとそこにおるのじゃろ?姿を見せんか」
ゆらりと影が動いて、扉の向こうから長身の男が顔を覗かせた。
「立ち聞きとは、趣味が悪いな」
「すみません。席を外すように言われたので、つい…」
「気が急く―――か?
何事にも冷静沈着でいられるそなたが、珍しい」
「……」
「まあ、よい。聞いていたのなら話は早い。どちらにしろそなたにも話さなければならない話じゃ」
そう言ってガランは扉の前で立直しているリンカーンを部屋に招きいれた。

物音を立てることなくそっと歩みを寄せると、あどけない寝顔を浮べてすやすやと眠るアイシェの姿が、視界に映りこんだ。
形のよい桃色の唇からは、スースーと心地の良い寝息が零れる。
ただ村へ早く戻ることだけを考えて歩いてきた五日間。
慣れない野宿で気を張り詰めていたアイシェの寝顔とは違う安心しきったその表情。
無理強いをしてまで連れ戻したことに間違いはなかったのだと、安堵の息が零れた。
やはりアイシェはここにいるのが一番幸せなのだ、と。

「どう思う?」
同じようにそれを眺めながら、ガランが小さな声で尋ねた。
「…向こうはこちらの手の内を知り尽くしている―――と考えて間違いないでしょう。石の存在価値もアイシェとファントムとの関連性も、全て知った上で手に入れて、何かをしようと企んでいる。
そしてもう、この村は安全ではなくなった―――と…」
その率直な物言いに、ガランは苦笑いを浮かべた。
「アイシェと石が戻ってきた今、遅かれ早かれ、この村は危険にさらされる。アイシェがここから攫われた時点で、もう安全ではなくなっているのですから」
「そうじゃのぅ。あの結界を潜り抜けて、アイシェを連れ出すことは不可能であったはずじゃ。万が一にも村の存在が見つかることもなかった。
だが…いとも簡単にアイシェはここから連れ去られた。それがどういうことを指し示すかわかるか?」
「村の者の中に、内通者がいる―――」
「間違いないじゃろう」
「………」
「それよりも。今、一番気がかりなのは指輪じゃ」
「指輪?」
「この子のラグナが脅威であるにせよ、どうしてそれを封印する必要があったのだ? 石とアイシェの利用価値を知りながらも、なぜまたそれを手離した?
そこに相手の意図する陰謀が見え隠れしているようにしか思えぬ」
穏やかに上下する胸元で組まれたアイシェの指に輝く銀の指輪。
そこに刻み込まれた文字と、埋め込まれた紫色の水晶が閉ざされた闇の中で不気味に光を放っていた。
光の中よりも闇の中でこそ、より光を放っているように思える。
得体の知れない指輪がアイシェの指にはまっていると考えるだけでもおぞましい。
「例の調査は進んでおるのか?」
「めぼしい者の名前が数名、上がっております」
「そうか……」
ガランは険しい顔つきで考え込むように口元に手を当てた。
「アイシェが戻ってきた今、何もないでは済まされぬことはおぬしもよくわかっているだろう。この事は他の者には決して口外せぬよう、穏便に事を進めてくれ。早急に、じゃ」
「はい」
「誰が黒かわからぬ今、そなただけが頼りじゃ。お前が、アイシェを守るのじゃ。頼んだぞ」
深く溜息をつきながらリンカーンの肩を軽く叩くと、ガランは自室へと戻っていった。
部屋にはリンカーンのみ取り残される。
アイシェは事の重大さなど何も知らぬかのように、穏やかな寝息を立てながら眠っている。
本当なら何も知らないままの方が幸せだっただろう。
これも石の定めた運命なのだろうか。
リンカーンはあどけない寝顔を浮かべるアイシェのベッドの横に腰を降ろし、そっとその頬に触れた。
赤ん坊のように滑らかで柔らかな頬をなぞり、そっと唇に触れると、
「う、ん…」
と艶のある声が零れた。
紅を引き香油を身に纏い、着飾った村の娘達とは違って、アイシェには素朴な美しさがある。
寝息の零れる素肌の唇は、紅なんか引かなくても熟れた果実のように朱く、みずみずしい。
指で触れても柔らかで心地よい手触りなのだ。
じかに唇で触れて、その感触を味わいたくなる。

ふいに暗闇に手が伸びた。
眠っているはずのアイシェの細く白い腕が宙を舞い、まるで何かを求めるように空虚を彷徨う。
夢でもみているのだろうか。
先ほどまで穏やかな寝息を立てていた寝顔が、額に汗を浮べ、表情を歪めた。
「…アイシェ?」
頬に触れ、声を掛けるが目覚める気配はない。
深い眠りに落ちた意識の狭間で手を伸ばし、何かを訴えるかのように身体をよじる。
「アイ…―――っ!?」
細い腕がリンカーンの身体を捉え、強く引き寄せた。
突然の行為に、思わずアイシェの身体の上にうつ伏してしまいそうになるのをかろうじて堪えた。

「アイシェ、平気か?アイシェ…」

目覚めぬ意識の向こうにそっと声を掛けてやる。
よほど恐ろしい夢でも見ているのか、額には玉のような汗が滲み、亜麻色の髪が頬に張り付いている。
起こした方がいいのだろうか。
リンカーンは汗ばむアイシェの背中に腕を回し、そっと身体を起こそうとした。
リンカーンの首に回った細い腕に、一層力が入る。

「―――っ…ジェイ……」

目尻から零れた一筋の涙と共に、切ない声が漏れた。
一度零れたその名前をうわ言のように、ただ繰り返す。


今までずっと妹のように、家族のように大事に可愛がってきたアイシェが、しばらく離れている間に随分と大人びて、女性らしくなった。
こんな表情もするのか、と心奪われる時もある。
そういう憂いのある表情を見せるのは、決まってある人物の名前が話に出たときだ。
何度となく聞いた、ジェイという名前。
幾度もアイシェを危機から救い、共に歩み、ここまで導いてきた男だ。
素性はよく知らない。
けれどその男に対し、アイシェが淡い恋心を抱いているのは確かだ。
表情を見ていればわかる。

起こしかけたアイシェの身体をベッドへと戻し、頬を伝う涙を指で拭う。
それでもなお、アイシェの唇からはうわ言のように男の名前が繰り返された。
生まれ育った村を捨ててまで、アイシェはその男のところへ戻ろうとした。
祖父のガランよりも、生まれ育った故郷よりも、自分よりも。
ジェイという男が愛おしい―――と。



リンカーンはアイシェに覆いかぶさるように身体を伏せた。
アイシェの口からもう、その男の名前は聞きたくない。
切ない声で涙を流しながら。
自分以外の男の名前など、呼んでほしくなかった。



だから、口を塞いだ―――。




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| LOVE PAHNTOM 第4章 | 22:43 | comments(2) | - |
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LOVE PAHNTOM第4章 帰郷-2-
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第4章 帰郷-2-

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小屋からしばらく歩いたところで、海岸に出た。
さらさらと零れる砂が足に纏わり付き、踏みしめるとキュッと鳴いた。
こういう音のする砂を“鳴き砂”というのだと、ジェイが教えてくれたのを思い出す。
ふと気がつくとジェイのことばかり考えてしまう。
側にいないと思うとなおさら会いたくなり、恋しくなる。
村から出るまで、ジェイと出会うまではこんな感情、一度も感じたことがなかったのに。
踏みしめるたびにキュッと声を上げる鳴き砂が、まるで自分の悲鳴のように聴こえた。
座り込んで膝を抱える。
「…ジェイ……」
声にすると涙が溢れた。
ジェイとはたった数ヶ月、一緒にいただけ。
なのにアイシェの中で存在は大きく膨らみ、いつの間にか無くてはならない存在になっていた。
こんな別れ方なんて、望んでいなかったのに―――。

「気は済んだか」
頭の上から声が降った。
アイシェはますます深く、膝の間に顔を埋める。
顔を上げなくとも側にいるのがリンカーンだということぐらいわかる。
気配を消したつもりだろうが、ラグナの芯までは消せない。
リンカーンに見張られているという自覚はあった。
絶えず彼のラグナを側に感じていたから。
アイシェが勝手にどこかへ行ってしまわないように、ずっと。


「…私、マオの港に行く」


「何、馬鹿な事を」
「だって、そこに向かっていたんだもの。だから私も行く。
きっと急にいなくなって、心配してるはずだから。ジェイは命の恩人なんだよ? 私、お礼も何も言ってないもの。せめて…船が無事着いたかどうかぐらい確かめさせて」
「どういう間柄かは知らないが向こうはもう、アイシェの事は諦めたはずだ。船の上で消息を絶ったんだ。海に落ちたか、波に攫われたか。無事であるはずがない。探しても無駄だ。普通ならそう考える。諦める」
「でも……!!」
「いい加減にしろ!」
強く押さえつけられて、アイシェはビクと体を震わせた。
威厳のある低い声色に、空気がジンと震えた。
「アイシェの意思は関係ない。引きずってでも村に連れて帰るぞ。お前と一緒でなければ、意味がないんだ」
強く両肩を捕まれた。
手から伝わって来る体温が、冷えた体にじわりと浸透していく。
アイシェは耐え切れなくなって、乱暴に視線を逸らした。
顔を背け目を伏せる。

「―――アイシェ」

両肩を掴んでいた手が顔に伸ばされ、頬を包み込んだ。
そのまま顔を上げられる。
「放して…!放して…ってば!!」
どんなに顔を背けても、リンカーンの強い力には敵わず、簡単に引き戻される。
それでもアイシェは抵抗したかった。
このままでは、本当にジェイとは会えなくなってしまう。
「俺の役目はお前を見つけることじゃない。見つけて、無事、連れ帰ることだ」
頑として信念を曲げない強い瞳が、アイシェの視線を捕らえ絡み取る。
本当はちゃんと分かってた。
リンカーンが心から心配してくれていることも、村に帰らなければならないことも。
だけど。

「…ダメ…。私、行けない。もう、村には、帰れない……」


アイシェはただ、首を横に振った。
ずっと村を出てから故郷に帰りたかった。
一度だって村や家族の事を考えない日なんてなかった。
だけど、もう…。

「ジェイという奴の為か? そいつがいるから、村に戻らないと言うのか? それとも…」
一拍置いて、リンカーンが聞いた。
「自分が帰ったら今度は村が狙われるって、危惧しているからか?」
弾かれたように顔を上げると、じっと深くアイシェを見据えるリンカーンの視線とぶつかった。
視線を逸らすことなく、ただ深く、心の奥まで見透かすような瞳で強く見つめ返してくる。
「…どうして、それを―――」
リンカーンは知っている。
狙われていることも、その理由さえも知っている風な表情だった。



「それぐらいは覚悟している。皆、最初から」
平然と告げる。
さも、そんなことはたいしたことではないとでも言うみたいに。
「…覚悟って…なに? ……最初からって…どういうこと…?」
「理由が知りたいか? それなら村に戻ってガラン殿に聞くといい。お前が知りたいと思っていることを全て話してくれる」
「おじいちゃんが…?」
戸惑いを隠せない表情でアイシェはリンカーンを見上げた。
嘘は言っていない―――。
リンカーンはそんな表情でじっと見据える。
アイシェがずっと知りたいと思っていたこと、不思議に思っていたこと、それが村に帰ればすべて分かるというのだ。
帰りたくない訳じゃない。
本当は全てを投げ出してでも、村に帰りたかった。

口を噤んで表情を落としてしまったアイシェの細腕が、グイと強く掴まれた。
「帰ろう。皆、心配している」
アイシェは唇を引き結んで、考えを振り切るかのように何度も首を振った。
まるで駄々をこねる子どもがイヤイヤをするように、乱暴に。
それがアイシェにできる精一杯の、最後の抵抗だった。
「帰郷するぞ」
低くそう告げると、座り込んでうずくまるアイシェの身体をリンカーンは軽々と抱き上げた。
逃がさないように強く抱きしめると、優しく髪を撫でてやる。
アイシェはそのままリンカーンの首にしがみついて、そして声を殺して泣き続けた。




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| LOVE PAHNTOM 第4章 | 11:48 | comments(4) | - |
LOVE PAHNTOM第4章 帰郷-1-

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第4章 帰郷-1-

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夢を見た。


どこまでも青を重ねたような、真っ暗な海の底へ堕ちていく夢。
海上は荒れ狂う嵐だというのに、漂う海の中はどこまでも穏やかで、まるで母親の腕に抱かれているような安堵感があった。
堕ちていく身体の周りからは、無数の泡が立ち上がり、珊瑚色の唇からは小さな泡が零れる。
海の中だというのに、不思議と苦しくはなかった。


(―――…ああ、私。泡になって消えちゃうんだ……)


天へと向けて伸ばした指の先から、泡になって消えていく。
もとある場所へ還って行く、そんな感覚が体を駆け抜けた。
碧い蒼い海面へと昇って行く真珠の泡は、やがてその色を虹の色に変えて、消えた―――。






□ 




目が覚めると、波の音と潮の香りがしなかった。
毎日見ていた雨漏りをしたような木の天井と明らかに違う、丸みを帯びた石をいくつも積み上げたような壁と、土を塗り固めたような天井が視界に映りこんだ。
「…ここは……」
アイシェは夢から覚めたばかりの身体を身じろがせ、そこからゆっくりと体を起した。
じわりと視線を彷徨わせ、辺りの様子を伺うが今いる場所に見覚えがない。
不安に駆られ、無意識に胸元の石を探る。
指の先に固い鉱石のような感触が触れ、それが無事であることに安堵の溜息が零れた。
「あ……」
衣服の間からそれを引き出そうとして、アイシェは目を見張った。
身につけていたはずの衣服は何も身につけておらず、代わりに薄い麻布の上着を羽織らされていた。
すっぽりと体を覆うそれは、見覚えのない男物の上着だった。
ジェイの物でもジルの物でもない。
「どうして……」
船の上での出来事が思い起こされる。
闇夜に出会った目尻の下がった優しい目の青年。
見た目の優しさと、物腰の柔らかさにまんまと騙され、気味の悪い薬を無理矢理、喉に流し込まれ、そのまま意識が途絶えた。
最後に見えたのは船上で見えた紫紺の空。




「―――気がついたか?」

不意に声を掛けられ、アイシェはビクと身体を強張らせ、思わず側にあったシーツを手繰り寄せた。
じわりと声がした方に顔を向けると扉のすぐ側で、湯気の上がる木彫りのカップを手にこちらを見下ろす男の姿があった。
「気分はどうだ?」
そう聞いた男の目が、優しく細められる。
ドクリと胸が跳ねた。


「…う、そ……どうして……」


声が震えた。
自分はまだ、夢を見ているのではないかと錯覚してしまいそうになる。


その男は見覚えがあった。よく知った顔だ。
赤茶けた真っ直ぐな髪を短く切りそろえ、横に流した前髪から覗くきりりと目じりの上がった凛々しい眉。
鋭い目鼻立ちの颯爽とした顔立ち。
一文字に引き結んだ唇の端に、微かに笑みを浮かべる。
共に村で育ち、アイシェを妹のように可愛がり、彼女自身も兄のように親友のように慕ってきた幼馴染。


「リンカーン…―――」

どうしてこんなところに。
リンカーンと呼ばれた男はアイシェの声に表情を緩めると、そっと歩みを寄せ、ベッドサイドに腰かけた。
彼の重みで、ギシと梁がきしむような音がしてベッドが軽く沈む。

「…私、どうして……? 何でリンカーンがここにいるの? ここは、どこなの!?」

すがりつくようにリンカーンの胸元を掴んで、アイシェは顔を寄せた。
不安に表情を歪ませ、大きな翡翠の瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
「いっぺんに聞くな。少し落ち着いたらどうだ?」
アイシェのまくし立てるような質問にも動じず、リンカーンは運んできた木彫りのカップをゆっくりとアイシェの手に握らせた。
ゆらゆらと白い湯気の立ち上るそれからは、甘い匂いが漂う。
「山羊のミルクに蜂蜜を入れたものだ。昔、よく飲んだだろう?
三日も眠ってたんだ。何か腹に入れて、落ち着いた方がいい。話はそれからでも遅くない」
そう言ってアイシェの前髪をかき上げゆっくりと頭を撫でた。
「…三日……」
船での出来事が、つい先ほどのような気がするのに、三日も経っていたなんて。
手元から漂ってくる匂いに、アイシェの腹の虫がぐぅと鳴いた。
何も欲しくないと思っていたのに、体は正直だ。
「美味しい…」
一口すすると、その温かさと懐かしさでゆるゆると緊張が溶け出す。
祖父がよくアイシェに入れてくれた味と何の変わりもない。
それを思い出すと、自然と表情が和らいだ。
その姿にリンカーンは安堵の溜息を落とし、ゆっくりと口を開いた。

「…無事でよかった―――」

強く鋭い瞳が優しく細められ、伸ばした手にそっと頬を撫でられる。
昔からよく知っているその優しい感触に安堵して、目尻に涙が溜まるような気がした。
今、泣いてはいけない。
村に帰るまでは―――と、心に決めた決心がぐらりと揺らぎそうになる。



「もう落ち着いたから大丈夫。話して。
ここはどこなの? どうしてリンカーンがこんなところに……」
「ここは大陸の北西の海岸、オグマだ。
アイシェが連れ去られてから俺は、ずっと行方を探していた。微かに発するラグナの波長を辿って。
途中、ひどく微弱になって見失ったが、一昨日、強い反応が現れてそれを辿ったら、海辺に打ち上げられたアイシェを見つけた」
「…オグマ……」
もともと村から一歩も出たことのなかったアイシェは、街や海岸の名前を言われても、いまいちピンとこない。
土地勘がほとんどないのだ。
唯一、知っていることといえば、自分が住む大陸の名前と村の名前。
あとはこの数ヶ月に足を踏み入れた、街と港の名前くらいだった。

「私…。マオの港に向かう予定だったの…」
国境を越え、ルキア王国の北西の港マオを目指す。
そこからロードを迂回し、風の渓谷へ向かうとジェイは言っていた。
おそらく船に乗っていた日数から考えても、航路の半分も進んでいないだろう。

「ねぇ。私の他に…誰かいなかった?その…男の人…とか……」
「アイシェ以外は、見ていない」
見つけても助けるつもりはない。
リンカーンはそんな口ぶりだった。
村の人間は、外の者との接触を極端に嫌う。
もしもアイシェ以外に海岸に打ち上げられていたとしても、リンカーンは見向きもしなかっただろう。


「ねえ、リンカーン。私をその海岸に、連れて行って欲しいの」
「行ってどうする?」
「…確かめたいことがあるから…」
行ったところで何もないのは、わかっている。
船が難破して流されたわけではない。
薬を飲まされ、自分だけが小船に乗せて流された。
荒れ狂う嵐の中を。
あの高波を超えて陸地にたどり着けただけでも奇跡だ。
神の加護に感謝しなければならない。

船は、ジェイ達は無事なのだろうか。
今頃きっと、アイシェが消えたことに気付いて探しまわっていることだろう。
勝手に消えてしまったことでまた、ジェイを裏切ったと思わせてしまったのではないだろうか。
あんなにも大事にしてくれた、命を懸けて守ってくれたジェイを裏切る形でなければと切に願わずにはいられない。
それに何よりも、ジェイが無事でいてくれれば、それだけで―――。


「駄目だ」


冷ややかな声が落とされた。
その言葉に、弾かれたようにアイシェは顔を上げる。
見上げた幼なじみの顔は険しかった。
「みんな心配している。早く戻って安心させてやったほうがいい」
「でも、私…、ある人達と一緒に船に乗ってたの。私を助けてくれた恩人。その人が村まで連れて帰ってくれるって…それで―――」
「それなら問題ないだろう。俺と会えた。村に戻る。送り届ける必要がなくなった」
「でも……っ!」
「誰を探しているのかは知らないが、外の者と接触するのは、禁じられていたはずだろう?はぐれてしまったのなら好都合だ。探す必要はない」
溜息と共に声が漏れた。
呆れている。
冷ややかに言い放ったその横顔は、頑として譲らないアイシェのよく知った顔だった。
リンカーンが気難しい祖父以上に頑固な性格なのは、よく知っている。


「…どうして……? どうして、外の人と接触したらいけないっていうの?」

祖父もリンカーンも、村の人々もみんなそうだ。
口をそろえて外の者は危険だという。
理由を告げることもせず、ただ駄目だの一点張り。
「今ここで、話す事じゃない」
リンカーンは首を横に振るばかりで、取り合ってくれない。
何も知らないくせに―――!と、押さえつけるばかりのリンカーンに腹立たしささえ感じる。
いつも毅然とした態度を示し、堂堂としているリンカーンの事は尊敬していたし、彼の言う事は常に正しいと思っていた。
反抗などしたことなかったし、しようとも思わなかった。
彼の言う事はいつも真実だったから。
でも違う。
村から出て、初めて外の世界を見た。
確かに、祖父やリンカーンが言うように外の世界は危険が満ち溢れていて楽しいものばかりではなかった。
アイシェが触れた世界は、常に危険と隣りあわせの日々。
強欲で、己の利益の為に平気で人を傷つけ、奪い、命さえ踏み台にして伸し上る。
争いもなく平穏無事に暮らしてきたアイシェにとって、それは恐怖でしかなかった。
人々の醜い争いや心の闇を目の当りにするたびに、怖くて怖くて仕方がなかった。
早くそこから逃げ出したくてしょうがなかった。
けれど、外の人間がそういう者ばかりでないことも知った。
見ず知らずの自分に、見返りもなく手を差し伸べ、導き、危険から救い出してくれる。
家族以外の誰かの為に、何かをしてあげたいと思わせてくれる人に初めて出会った。
行き場を見失った自分に、居場所を与えてくれたのはジェイだ。
心細かった毎日に、彼の存在がどれだけ救いになったことか―――。


「せめて船が無事着いたかどうか、みんなは無事なのかどうかぐらい、確かめさせて!」
「駄目だと言ったら駄目だ」
リンカーンは頑として首を縦に振ろうとしない。
何も知らないくせに。
理解しようともしないくせに、否定されることがアイシェには許せなかった。


「知らない世界に放り出されて、一人ぼっちで。右も左もわからなくて……。
私がどれだけ不安だったのか、リンカーンにはわかるの!?」
「だから探しに来たんだろう」
「…そんなの……っ!
私が助けて欲しい時に、リンカーンは側にいてくれなかったじゃない―――!」


言ってはいけないことを言ってしまった―――という自覚はあった。
じっと自分を見据えるリンカーンの目が一瞬、揺らいだ気がした。
でも、口にしてしまった事は、今さら取り消せない。


「勝手にしろ」


冷たくそういい残して、リンカーンは扉の向こうに消えた。



>>To Be Continued

| LOVE PAHNTOM 第4章 | 15:10 | comments(2) | - |
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