慣れない事に酷く悩んだからだろうか。
陽が落ちて闇に包まれた後もなかなか平静を取り戻せず、ジェイは細工作りに没頭していた。
こうして他の事に没頭していれば悩むこともなく身体の異変を感じることもないのだと思い、集中してから数時間。
既に細工の世界に入り込んでいたジェイの元へ来訪者が現われた。
「───ジェイ」
波と風の音に混じって心地良い声音が聞こえ、ジェイは一瞬、ビクと緊張に体を震わせた。
背後から聞こえた声は紛れもなく彼女の声で、自分を呼んでいる。
「ジェイ…?」
返ってこない返事に戸惑いを隠せない声で、また名前を唇に乗せる。
甘く呟くその声に触れた唇の柔らかさを思い出し、漸く消し去った邪念が再び浮かび上がるような気がした。
気持ちを押し込めるように唇をきつく噛み締め、ジェイは作りかけの細工に視線を落とし、けれどそれに集中することも出来ずに顔を上げた。
見上げた先には案の定、愛くるしい少女が立っており、不安げに自分を見つめてきた。
月明りに煌く翡翠の瞳が美しい憂いを湛え、真っ直ぐに視線をぶつけてくる。
ジェイの様子に何かを感じたのか、アイシェは小首を傾げて彼を覗き込んだ。サラリと流れた長い髪の隙間から肌が覗いている。
一際鼓動が跳ねるのを感じ、ジェイは気持ちを落ち着かせるかのように大きく息を吸い込んだ。
「何?」
驚くほど低い声色で疑問符をつけて呟く自分に、嫌気がした。
けれどもそうでもしないと気持ちを押さえ切れない。
ビク、と小さな体を震わせ何かを言いかけたアイシェの勇気の炎が消えゆき、表情を曇らせる。
頬をさらう冷たい海風が彼女の癖のない長髪を揺らし、月夜にはっきりとその表情を映した。
「…これ…」
ずっと胸に握りしめていた小さな紙袋をそっとジェイの前に差し出した。
「ジルさんに、預かったの…」
短く告げた。
きっと持って行けと手渡されたのであろう。
昼間、ジルに調達してくれと頼んであったものがアイシェの手に握られていた。
仲を取り持つきっかけになればいい。ジルの思惑が容易に感じ取れた。
差し出した小さな手が微かに震えている。
その手を引き寄せて抱きしめてやれば、震えは止まるのだろうか。
いや。
きっとまた怖がらせてあの表情を浮かべさせてしまうのだろう。
眉根に皺を寄せると、チッと短く舌打ちをした。
「変な気を回しやがって…」
「え?」
「何でもねーよ」
思ったよりも冷たい態度に、アイシェは悲しそうな表情を見せると。
「じゃぁ…渡したから…」
そういい残してその場を立ち去ろうとした。
「待てよ」
ジェイがアイシェを呼び止める。
「もう少しで出来るから、ちょっとそこで待っていてくれるか?」
ジェイは已然、手元に視線を落としたままで言った。
その言葉に帰りかけた足を止めると、アイシェはどうしたものかと考えあぐね、ぎこちなく体を立直させてその場に突っ立っていた。
「何…してるの?」
何やら小さな物をジェイは一所懸命いじっている。
そんな様子を器用だなぁと感心しながら、アイシェはその隣に腰を降ろした。
夜風が亜麻色の髪を攫い、その微かな匂いが潮風に混じって鼻腔をくすぐる。
気持ちまでもが彼女に向かって流れてしまいそうで、その雑念を振り払うかのように軽く頭を振って手元の細工に神経を集中させる。
「…よし。できたぞ」
安堵の息と共に漏らした言葉にアイシェがぼんやりと顔を上げた。
真っ直ぐにそれを見つめ目を細めて微かに笑みを浮かべると、アイシェの細い腕を掴んで体を引き上げてやった。
戸惑いを隠せない表情のアイシェの体を後ろに向かせ、長い髪の間から覗く白い首へとそれをかけてやった。
手を伸ばし、首に絡まった長い髪を梳く。
「これ…───」
弾かれるようにアイシェが振り返った。
「開けてみろよ」
ジェイはアイシェの首にかけた楕円の細工を指差した。
「うん…」
アイシェは半信半疑な顔で首にかけられた細工を手に取り、それをそっと開ける。
それはブロンズで出来た親指ほどの小さなもので、表に小さな花と蝶を散りばめた彫刻が施したペンダント。
スライド式の小さな蓋を開けると、中に何かを入れられるようなロケット仕様になっている。
「どうして…」
アイシェは驚いたように顔を上げた。
「石を入れるのに、ちょうどいいだろう?」
アイシェの反応に満足げにジェイがにやりと口の端を持ち上げた。
開かれたそこにはアイシェの瞳と同じ翡翠色のファントム。
あの日、無理矢理奪い去られた石が何事もなかったかのようにアイシェの胸元で光り輝いていた。
「それだとそう簡単には千切れないだろ。細工の中に入れておけば首から下げていても見た目にはわからねぇし。不細工で申し訳ないけど、よかったら使って」
そう言って笑いかけたつもりだった。
だが、すぐにその顔が驚きの表情を見せ、ぎょっと目が見開かれた。
ありがとう、と。笑顔を見せ笑ってくれるはずだった。
久しぶりにアイシェの笑った顔が見られるはずだった。
だが、その目に飛び込んできたのは涙で歪んだ顔。
「…アイ、シェ───」
細工をぎゅっと握りしめた小さな手を口元に当て、小さな体を震わせる。
ガラス玉のような大きな瞳からは止め処もなく涙が溢れた。
「…ごめ…、ごめんなさい…」
唸るように呟かれたのは謝罪の言葉。
一瞬、何についてのごめんなのかジェイは考えあぐね、しばらくしてそれが自分の頬の傷のことを言っているのだと気付いた。
「…ジェイは、いつだって力になって…助けてくれているのに、私は…いつも傷つけてばかりで、何もしてあげられない…」
嗚咽と共に吐き出される言葉が闇夜に溶ける。
傷の事なんてたいしたことはない。
むしろそうさせるように仕向けたのは自分だ。
なのに───。
いつも自分の事よりも人の事を優先する。
ひとりで黙って出て行こうとしたのは、村人やジェイ達のことを思い優先したに違いなかった。
それは痛いほどわかっているのに頼りにされていないと勝手に怒り、アイシェを傷つけた。
自分はひどく子どもじみている。
それでもジルから急に話を聞かされた時、どうしたらいいのかわからなくなった。
頭で考えるよりも先に体が動いた。
行くな、と。素直に伝えられない自分が歯痒くて歯痒くて───。
「おいで、アイシェ」
瞬く間にアイシェは手を引かれ、体を引き寄せられた。
え、と。声を上げる暇もなく距離を寄せられて、アイシェの体に緊張が走ったのが見て取れた。
無理もない。
あんな行為の後なのだ。
警戒心がないはずはなかった。
その表情にちくりと胸の奥が痛むような気がしたが、できるだけ穏やかな笑みを浮かべてアイシェを覗き込んだ。
「バーカ。こういう時はごめんじゃなくて、ありがとうだろ?」
仲直りのきっかけになればいい、と。港を出てからずっと没頭していた細工のペンダント。
作りながら想うのはいつもアイシェのことだった。
彼女の笑顔ばかり、思い浮かべていた。
ジェイはまるで小さな子どもにするかのように、頭のてっぺんをクシャクシャと撫でてやる。
涙で潤んだ大きな瞳が、不安げに見つめ返した。
「アイシェはいつも謝ってばかりだ。自分は悪くねぇのに…」
空間を寄せ、抱きしめるか抱きしめないかの距離で、ジェイが呟く。
ごめん、と。
試すような真似をして、嫌な思いをさせてすまなかった、と。
その言葉でアイシェの張り詰めていた緊張の糸が解けて、安堵の涙が溢れた。
それは止め処なく頬を伝い嗚咽が体を震わせる。
「…ごめ…、ごめんなさい……っ」
波の音にかき消されそうな程の小さな声。
震える背にそっと触れると、優しく、それこそ子供をあやす様にそっと撫でてやる。
アイシェの気持ちを落ち着かせるかのように、ゆっくりゆっくりと。
ほんの一瞬、緊張に揺れた体の力がじわりと緩んでいくのがわかった。
ほんの少し縮まったふたりの空間に身体を離すことなく、涙目のままにジェイを見つめて何事かを訴えるようにアイシェの唇が薄く開いた。
それはジェイの理性を掻き乱すには十分すぎる表情だった。
>>To Be Continued