::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
LOVE PAHNTOM第1章 運命の扉-19-
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ジェイはいつまでも海の向こうを見つめていた。
アイシェはエドがちゃんと、村まで送り届けてくれるだろう。
腕っ節はそれほど強くはないが、責任感の強い男だ。
それに少々腕が弱くても、彼女の術があれば大丈夫だろう。
村までの帰路はいくつかの街を経由しながらの街道なので、安全だ。
「エドのヤツ、尻にしかれてないといいけど…」
その様子を思い浮かべて、ジェイはクスリと笑った。
たった五日。
共に過ごしただけだったが、アイシェには随分と振り回されたような気がする。
くるくる変わる愛らしい表情が懐かしい。
「今、別れたばかりなのに。俺って女々しいヤツ…」
ジェイはバツが悪そうに、ガッと頭を掻いた。
本当はアイシェを一緒に連れて行きたかった。
さらってでも自分の側に置きたかった。
でも、危険な場所に飛び込むことがわかっているのに連れては行けない。
彼女はこんな裏の世界にいる人間ではない。
本来なら危険とは無関係な、自然に守られた陽の当たる場所にいるべき人間だ。
自分の都合で振り回わしたくはない。
もう二度と、大事なものを傷つけたくない。目の前でそれを失うのはまっぴらごめんだ。
「アイシェが俺の運命を変える───か」
セイラの言葉が本当なら、もう一度アイシェに会えるかもしれない。
その時は───。
ジェイは強く拳を握りしめた。
「いつまで海をながめてんだ」
突然、背後から声を掛けられた。
ビクリと体を縮めてゆっくりと後ろを振り返る。
いつから立っていたのだろう。
体格のいい男が腕を組んだ姿勢で、ジェイを見下ろしていた。
酒場で男達をなだめたジルという男だ。
「あの嬢ちゃんはさっきの港で降りたのか?」
そう言ってジェイの横に来ると、手すりに背中を預けた。
「てっきりお前さんの女かと思ってたが…」
違ったんだな、と笑う。
「あんたには関係ないだろ?」
「そりゃそうだ」
棘のある言い方に気を悪くする風でもなく、ジルは懐から煙管を出し火をつけた。
「吸うか?」
「いや、いい」
そうか?と、煙管をくわえると空に向かってゆっくりと煙を吐き出した。
風に流されて煙はすぐに空に溶けてしまう。
「お前さん、何かわけありか?」
「…」
「いつも思いつめた険しい顔をしていただろう。あれは覚悟を決めた男の顔だ」
淡々と話しながら、煙を空に吐いていく。
「…おっさん。あんたは一体、何者だ?」
酒場での事といい、今といい。必要以上に構ってくる。
それにあの時見た、右腕の刺青。
あれを昔どこかで見たことがある。
記憶が確かであれば、あれは────。
「わしか? わしは…まぁ、そこいらにいる船乗りってやつだ」
「船乗り?」
確かに、日に焼けた健康的な肌と、筋肉剥き出しの鍛え抜かれた風体は、船乗りのニュアンスを漂わせている。
ただ、船乗りにしては生傷が多すぎる。
体のいたるところに、数々の古傷が見られる。
「この船の、か?」
「いいや。もっとでっかい船だ」
遠くを見つめるような顔で、空に煙を吐き出す。
それはすぐに風にかき消されて消える。
「ま、オレの経験上、大事なものは側から決して離すなってことだ。離してしまったら見失ってしまう。そうなったら二度と手元には戻らないぜ?」
「何の事を言ってんだよ」
ジェイは眉をしかめた。
「それは自分で考えな。わしはそこまで優しくねーよ」
「何だよ、それ」
「ただ、あの嬢ちゃんといる時は、お前さんの険しい顔が和らいでたから。お前さんにとって、大事な存在なんだろうな、と思っただけだ」
「……」
「図星か?」
「…あいつは、そんなんじゃねーよ」
「そうか? 少なくともわしにはそう見えたが。ま、いいさ。大事なものは失くしてから気づくものだ。手遅れになる前に気づけよ?」
「…そういうあんたはどうなんだよ?」
「わしか? わしは、もうとっくに失くしてしまったよ」
そう言ってジルは、じゃぁなと手を振りながら船内へと踵を返す。
「あ、それと」
大きな体が振り返った。
「北に着いたら、赤い目の男に気をつけろ」
「何だよ、それ。」
「言葉どおりだよ。じゃあな」
そう言ってジルは手を上げ、振り返ることなく船内へと消えていった。
船は七日ほど航海を続け、北の果てに到着した。
七日の間ずっと穏やかだった天候も、陸地に着いてからは陰りを見せた。
ぽつりぽつりと雨が落ちる。
「さて、どうするかな」
ジェイは店の軒先で雨がやむのをやり過ごしながら、今後の身の振り方を考える。
目的はセイラの仇を討つことだ。
以前ジェイにアサシンへの勧誘をしてきた男の言葉を頼りに、ここまで来たのだ。
─── 気が変わったら、大陸の最北端の島へ行け。 ───
大陸の最北端はここだ。だが、この先にマリという島がある。
きっと拠点はそこだ。
わかっていても、不用意に乗り込むのは危険すぎる。
まずは手がかりになるものを探さなければならない。
雨は一向にやむ気配を見せず、このまま本降りになりそうな気配だ。
「まいったな」
軒先から手をかざす。
掌に雨が容赦なく降りつける。
これから先のことを考えると贅沢はしてられない。
船を降りてからしばらくは、野宿だと考えていたのだ。
この雨だとその場所も限られる。
「しゃーねーな」
ジェイは舌打ちすると、荷物を頭にかざし雨の中を走りぬけようとした。
その時だった。
「…ッ!?」
ジェイはその場に立ち竦む。
頭に荷物を持ち上げたままの姿勢で動けなくなってしまったのだ。
いつの間にか背後に回ったであろう人物に、背後を取られた。
背中にヒヤリと刃物のを突きつけられる気配を感じた。
(────いつの間に!)
身を堅くする。
背後に回るまで全く気配を感じなかった。
そこに人がいることさえ気付かなかった。
人としての気配が全くなかったのだ。
「…さて、このまま動かないでくださいね? 自分がどういう状況かは、お分かりでしょう」
低いしゃがれた男の声がした。
「このまま真っ直ぐ、船着場の方へ戻ってもらいましょうか」
男は刃物をグッとジェイの背に突きつけたまま言った。
ジェイは男が言うまま、無言で船着場へ足を進める。
逃げようにも体がまるで凍りついたように動かない。
(何だ、こいつのラグナは───)
ゴクリと喉が鳴った。
身体の底から震えがくる。
かつて今まで感じた事のないような巨大なラグナの力に、ジェイはなすすべもなく、ただ言いなりになるしかできない。
背後に回るまでは全く気配がなかったというのに。
相手は自由自在に力を調整できるらしい。
そうだとすれば、今のラグナが全開とも限らない。
(末恐ろしいぜ…)
小さく舌を鳴らす。
しばらくして船着場に着いた。
男の言うままに道を進むと、人の目から死角になるようなところに小船が見えた。
覆面をした男がひとり乗っている。
腕には見覚えのある刺青が見えた。
────十字架に巻きつく2匹の蛇。
「あんたらアサシンか…」
チッと舌を打ち鳴らす。
「必要のないおしゃべりは無用です。そのまま、その船に乗っていただきましょうか?」
男はグッと背に刃物を突きつけた。
「何で俺が、アンタらのいいなりにならなきゃいけねーんだよ?」
「あなたに意見する権限などありませんが?」
「……」
「あなたは賢い人だ。どちらが有利でどちらが不利か、力の差というものをお分かりでしょう?」
そう言うと、男はドンとジェイの背中を押し船に押し込んだ。
「アンタ、何者だ?」
「答える必要はありません」
男が目配せをすると、船に乗っていたもうひとりの男が懐から頑丈そうなロープを取り出した。
「船の上で暴れられたらかないませんからね、おとなしくしていてもらいますよ」
「何でオレが、アンタらのいいなりにならなきゃいけねーんだよ」
ジェイは苛立ちを隠せない表情で吐き捨てるように呟いた。
「力の差なんて、やってみなきゃわかんねーだろっ!」
後手にされた手で背中を弄る。
固い感触が指に触れた。
いざという時の護身用にと、隠していた短刀だ。
ふたりぐらいなら何とかなりそうだ。
いざとなれば逃げればいい。
こいつは危険な匂いがする。
船に押し込まれれば最後だ。
「…ここで使うのはかまいませんが…。そうするとあなたは、大事なものを失う事になる」
「大事なもの?」
なんだよそれ。
ジェイは男の言葉に眉を寄せた。
「俺にはもう、大事なものなんてねぇよ!」
身内もいない。
守るべき家も家族もない。
たったひとり身内のように大事にしていたセイラは先日、殺された。
自分には何も残っていない。
「そうですか───。では、彼女はどうなってもかまわないのですね?」
「───彼女? なんの……ことだ…」
一瞬、数日前に別れた愛くるしい少女の顔が脳裏を掠めた。
まさか、と思う。
心臓がドクリと音を立て、そのまま鼓動を加速させる。
「亜麻色の髪の村娘。翡翠色のガラス玉のような瞳がとても印象的で、可愛らしい娘でしたね」
「!!」
「名前は確か、アイシェ───でしたか?」
フードの陰になって見えない顔の表情に、薄っすら笑みが浮んだように見えた。
瞳が不気味に赤く光った。
「村に帰る途中だったようですが、残念だ」
「て、めぇーーーーー!!!」
ジェイは我を忘れて男に飛び掛った。
胸ぐらを掴んで殴りかかったつもりだった。
「────っぐッ!!」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
気がついたら全身に激痛が走り、体が地面に叩きつけられていた。
「……っぅ!!」
ジェイは体を庇うように立ち上がろうとした。
「ぐあっ…!!」
その手を男が足で踏みつける。
「───言ったでしょう? 力の差というものを理解しているか、と」
男はジェイを冷ややかに見下ろした。
おそらくフードの下は、馬鹿にしたように見下した表情だ。
「安心しなさい。娘は殺しはしませんよ」
男はギリギリとジェイの腕を踏みつける。
体を動かそうにも、予想以上にダメージを受けた体と、腕を強く踏みつけられているせいで、動くことすらままならない。
「あの娘。上のものがたいそうお気に入りでしてね。殺しはしないでしょう。ただ、可愛らしい娘さんだ。貞操の保障まではいたしかねますが───ね?」
「…貴、様っ!」
ジェイは物凄い形相で男を睨みつける。
はらわたが煮えくり返るというのは、こういう事をいうのだろう。
怒りのあまりに、骨が砕けそうなほど拳を握りしめた。
セイラの命を奪っただけでは済まさず、アイシェまでも。
村に着く前だと言っていたから、エドが一緒の時にさらったのだ。
エドは無事なのだろうか───。
このままこの男に逆らっても、今の状況では全く勝ち目がない。
勝てる気がしない。
それよりはおとなしくアジトに連れられて、そこから体制を立て直す方が賢いかもしれない。
アジトを探す手間が省けたと思えばいい。
「……俺がそこへ行けば、アイシェは返してくれるんだろうな?」
「返答しだいですね」
男はそう言うと、ジェイから足をのけてそのまま体を引き上げた。
「じゃあ、行きましょうか?」
そう言ってジェイを船に乗せると、ゆっくり海へ向けて動き出した。
雨は一層降り続き、この日は決してやむことがなかった。
>>To Be Continued