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第3章 月のない夜-4-
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アイシェの生まれ育った村とはどんなところなのだろう。
現実とはかけ離れた未知の土地。
シュラ族という種族の名前も村の名も聞いたことがない。
そもそもそんな村が地図に載っていただろうか。
それとも地図にも載らないほどの小さな集落なのだろうか。
ラグナの力を自由に操り、それを生活の糧として生きてきた種族。
こういう言い方は失礼に当たるのだろうが、それこそ異能力者の集団だ。
それがゆえに世間の目から逃れるように隠れ住んでいたのか。
あるいは石とこの少女を守る為に、表舞台には立つことがなかったのか。
アイシェと村については謎だらけだ。
ただ、確実にわかることは。
普通に生活していれば決して彼女とは出会うことはなかった、ということ―――。
「…あり…がとう…」
頬を真っ赤に染めて俯くその姿は、理性を掻き乱すには十分すぎる表情で。
怖がらせたくないとか、大事にしたいと思う気持ちとは裏腹に、気がつけば囁かれるように告げられた甘い声に、自分への必死の説得すらも消え去り、何も考えられなくなって引き寄せられるように彼女に口付けた。
アイシェは明るく元気で、いつでも自分の想いに素直で。
その真っ直ぐな様が周りの人々に好感を与え、そしてどこかホッとする温かさを与えてくれる。
いつでも懸命に頑張る姿はけなげで、それこそ不安さえ感じてしまう程に心配で仕方ない。
だから頑張りすぎる彼女の姿を、痛々しい彼女の姿を見るのは忍びないと強く感じた。
アイシェを守ってやりたい―――と。
こんな気持ちは初めてだと思う。
今まで生きてきた中でそれなりに恋愛もしてきたつもりだ。
けれどもその全てがまやかしであったと錯覚するくらいに、愛おしいと感じる。
彼女の唇に触れたのは三度目だ。
いつだって余裕のない自分を笑いたくなる。
ゆっくりと唇を放して、気持ちを誤魔化すかのように笑いかけて。
そのまま、痛いくらいにアイシェを抱きしめる。
やっと解放された唇は、まるで酸素を求めるかのように体全体で浅く短い息を繰り返す。
月明りに浮ぶ薄く開いたそれは何とも艶めかしい。
潮風に乗って流れてくる彼女の甘い匂いが、触れた柔肌の感触を思い起こさせる。
こういう時、自分は嫌なぐらいに男だという事を思い知らされる。
胸板に当たる柔らかな感触は服の下に隠された豊かな柔肌を主張するかのように温かい。
震え上がりそうになる感覚を必死に抑えて、手をそっと長髪に運んで撫でてやると、アイシェが今にも泣き出しそうな表情で顔を上げた。
「…どうして……?
どうして、こんなことをするの…?私……、私は…」
セイラさんの代わりにはなれない―――。
そう言って身体を離された。
一瞬、言っている意味がわからなくて、数秒たってから驚くほど間抜けな声で「え…?」と呟いた自分を笑いたくなった。
「…ジェイは…、失った悲しみを錯覚しているだけ…だよ」
「錯覚…?」
ジェイは眉を寄せた。
混乱になかなか次の言葉が出てこない。
「あの時、セイラさんを守りきれなかった責任を私に置き換えて、それを果たす事で満たそうとしてる」
こんなことは慰め合いでしかない、私はセイラさんの代わりにはなれない、とアイシェが告げた。
彼女の大きな瞳は涙に濡れており、再び溢れ出した雫が零れ落ちそうになっていた。
薄く開いた口元から声にならない息が漏れ聞こえる。
「アイシェは俺が誰相手でもこういうことするヤツだと思ってるのか?」
その言葉にアイシェが激しく首を横に振った。
「…思ってない…っ。思ってないから…。だから、錯覚だって言ってるの…。だって、恋人を亡くしてすぐに気持ちを切り替えるだなんて…、そんな器用なことがジェイにできるなんて…思えない…」
視線を逸らした顔がひどく歪んだ。
「…だって、あの時…」
キスしてたもの…と、波音に消えてしまいそうな程の小さな声で言葉が呟かれた。
言いにくそうに告げた後、背けた表情が涙で歪んだ。
ああ、と思った。
アイシェの中でひどく勘違いをしている部分が言葉の裏に見えた気がした。
彼女はあの場にいたのだ。
セイラとの関係を勘違いしてしまったとしてもおかしくない。
「アイシェ。あれは違う。勝手にセイラがやっただけだ。
セイラはただの幼なじみだよ。アイツは俺にとって大切な仲間だけど、それ以上に思ったことは一度もない」
大事な存在であったけれども、それは恋愛感情とは別のところにある。
「俺はお前にしか、こういう事をしたいと思わない。───それがどういう意味かぐらい、わかるだろ?」
離れかけた身体に手を伸ばしアイシェを引き寄せると、あ、と声を上げた身体がバランスを失ってすっぽりと胸に納まる。
「どうでもいいヤツに命を掛けられるほど、俺は馬鹿でもお人よしでもねーから。それぐらい察しろ…」
アイシェを守ってやりたいと願う自分は、結局自分自身に繋がる想いなのだと気付いた。
ただ己がために彼女を放したくない、失くしたくないのだ。
本来ならば争いごとや世間の波に飲み込まれることなく、危険もなにもない場所でアイシェを解放してやりたい。
もとの穏やかな生活の場に還してやるのが一番だ。
だがそれが無理だと分かった今、自分の見えないところに彼女をやるのは不安だ。
もうあんなふうに泣いてほしくないと思った。
「俺は、アイシェが好きだ───」
見上げた困惑の瞳が一瞬、大きく見開かれた後、それがゆるりと歪んだ。
翡翠の瞳に涙の雫がじわりと浮かび上がって、それが一筋の涙となって頬を流れた。
流した涙の意味は聞かずとも伝わってくる。
けれど、それをちゃんとアイシェの口から聞きたい。
「アイシェは俺の事、嫌か?」
その問いにアイシェが、大きく首を横に振った。
何かを告げようと顔を上げ唇を開くが、それが声になって出てこない。
ただ、首を横に振るばかり。
「それは否定?それとも肯定?」
「私…、私…は……」
吐き出される声に、ジェイはそっと手を伸ばしてアイシェの髪に触れる。
落ち着かせるようにそっと撫でてやると、しゃくりあげるように吸った息が言葉を乗せて大きく吐き出された。
ジェイが、好き───。
震える声で告げられて。
何か、理性を保つようなものが切れたように感じられた。
頬を流れた涙にそっと口付けるとそのまま唇を重ねる。
伸ばされた腕が戸惑うように宙を彷徨った後、すがるようにジェイの背中にしがみついた。
その姿に自分でも驚くほど、愛しさがこみ上げてくる。
腕を伸ばし狂おしいほどその中にアイシェを抱きしめる。
何度も唇を重ね、ジェイは口付けたまま彼女を抱き上げ、手近な樽の上に座らせた。
髪の中に手を埋め、耳や首筋にもキスを降らせる。
今さっき口づけたばかりの唇が、やけに艶めいて見えて、抱きしめた柔らかな体に、そのまま直に触れたくなった。
浅い息を吐いて濡れる唇をからかうように一舐めさせると、ジェイは美しく白い肌に手を伸ばして柔らかな身体を包み込んで、形の良い膨らみに手を這わせた。
「──っ、ジェ…ぁ」
ぴくりと身体を震わせてアイシェが小さく声を上げた。
その大きさと柔らかさを確かめるように少しだけ力を込める。
手のひらで円を描くように房を揺らされ、アイシェはただただ漏れそうになる声を抑えるべく口元に手を当てた。
白い白い豊かな膨らみはジェイの指に反応して小さく震えた。
直に触れた肌は湿気に覆われた海上だというのに滑らかでサラサラしていた。
触れるだけで心地が良い極上の肌。
ただ我武者羅にしがみつく身体と、熱を帯びた吐息に混じって囁かれる声に理性が効かなくなる。
身体がぐらりと揺れた。
──そう思ったのは錯覚ではなくて。
次の瞬間、足元に大きな衝撃が響いて船ごと身体が大きく揺れた。
「きゃぁ…!」
アイシェが悲鳴混じりの声を上げた時には、ふたりは頭から波飛沫をかぶっていた。
船尾に当たった波が甲板へと打ち上げられ、一瞬でそこにいたふたりを濡鼠へと変えた。
「──そんなとろにいると、波に攫われるぞ」
背後から聞こえた野太い声にぎくりと身を縮こまらせてそれを振り返ると、案の定、想像していた人物が呆れた表情で立っていた。
ジルはこの日、何本目になるか分からない煙草に火をつけると、空に煙を吐き出す。
それは瞬く間に吹き行く風に攫われて闇夜に消えた。
「天候があまり思わしくねぇ。早めに中に入った方がいいぜ」
先刻まで月が出ていたのに。
いつの間にか闇の色に近い雲が空を覆い、輝く月を隠していた。
恋は盲目。
一種の熱病のようなもの──とはよく言ったものだ。
目の前の感情に流されて周りがすっかり見えなくなってしまっていた。
自分を取り巻く風のラグナがこんなにも不穏な空気を漂わせているというのに──。
「ちなみにな。甲板ではセックス禁止だ。若さに身を任せるのもいいが続きはよそでやってくれ」
その言葉にアイシェが真っ赤になって、乱れた服の前を掻き寄せた。
ジルは悪びれもせずニカっと笑い、
「じゃぁな。警告したからな」
と船の中へと消えていった。
アイシェは真っ赤になって俯いたまま、顔を上げようともしない。
頭から水をかぶった所為ですっかり目が覚めたらしい。
さっきまでの行為がアイシェの中で思い起こされているのだろう。
唇を引き結び頬を真っ赤に染めて下を向く。
その唇は彼女の亜麻色の髪から滴り落ちる水に、しっとりと濡れていた。
よく見るとアイシェの服の袖やスカートの裾からも、染み込んだ海水が、ぽたり、ぽたり、と地面に落ち、服の上着がところどころ透けて、肌色を滲ませていた。
もちろんジェイも同じ状況だ。
海水を被って頭が冴えたのか、それとも波の冷たさが熱まで冷ましてくれたのか、妙に意識がはっきりとした。
海の寒風が熱い頬に気持ちがよかった。
浮かれた熱を冷ましてくれる。
そう思うのはジェイだけで。
すぐ隣でくしゅん、とアイシェがくしゃみをした。
濡れた身体に容赦なく吹き付ける風は、簡単に体温を奪っていく。
「中に入ろう。このままじゃ、風邪を引く」
まるで子どもにでも言い聞かせるような口調で告げて、寒さと緊張に震える手をそっと引いてアイシェを船内へと連れた。
>>To Be Continued